イースター島のミステリーと言いますが、、、
そもそもイースターという名前からして、ミステリー感が漂いますよね。。。
この島には、どんな謎が隠されているんでしょうか??
ちょっと探ってみましょう!!
1. イースター島の「イースター」の名前の由来は?
画像参照元:Pixabay
オランダの軍人、ヤーコプ・ロッヘフェーンが1722年の復活祭(イースター)の日に島を発見した事から付けられた名前です。
日本では英語名のイースター島と呼ばれる事が多いですが、現地語名では“ラパヌイ(広い大地)”と呼ばれ、正式名称は“パスクワ島(スペイン語で復活祭)”と言います。
2. 住民の暮らしは石器時代と同等のものになっていた?
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1722年の復活祭(イースター)の日に欧州人として初めて島に訪れたJ・ロッグベーンによると、「島に木々は無く、住民は原始人のような暮らしをしていた」と言われています。
なんでも、モアイ像を造った民族には見えなかったとのこと。。。
1650年ごろの食糧危機と部族抗争によって、文化も衰退してしまったという風に考えられますね。
3. 島には何体のモアイ像が造られている?
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イースター島には、約1,000体のモアイ像(ビックリ!!)が存在すると言われています。
火山島の特徴である、加工のしやすい凝灰石があった事、分家した部族が集落ごとにモアイ像を造っていった事から、ここまで多くの数になったと考えられます。
ただ、地中に眠っているものもあるという事なので、全部で何体あるかというのは明確ではないようです。
4. 絶海の孤島にいつから人が住むようになったのか?
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イースター島は、周囲にほぼ他の島のない絶海の孤島です。
島にポリネシア人が移住してきた時期については諸説ありますが、近年の研究によると、西暦1200年(12世紀)頃という説が有力です。
5. 文明の崩壊はモアイ像が原因だった?
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1774年に探検家のジェームズ・クック船長がイースター島に訪れた時には、人口は約600人ほどだったと言われています。
この時すでに、神聖な存在とされていたモアイ像は、各部族の抗争によってほとんどが引き倒された状態でした。
“文明の終末を物語る光景であった”という風に伝えられています。
神聖な存在であるモアイ像を造るために森の資源を失い、その結果起こった争いによって文明は崩壊してしまったのですね。
6. 先住民が絶滅寸前まで追い込まれた原因は?
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孤島のため外敵の心配が無かったイースター島ですが、18世紀~19世紀にかけ、奴隷商人によって住民達は奴隷として島外に連れ出されてしまいました。
さらに、外から持ち込まれた感染症の一つである天然痘により、先住民は絶滅寸前まで追い込まれてしまったとされています。
1872年頃の住民数はわずか111人にまで激減しました。
7.イースター島の謎が明かされない原因は?
先住民は、ロンゴロンゴという絵文字を使っていました。
板や石に書かれたもの・木材に文字を刻んだもの等が多く存在していたようなのですが、モアイ像建造のために森の資源を失っていた住民たちは、薪や釣り用のリールとしてそれらを使用するようになりました。
その結果、多くの文字資料が失われたと言われています。
未だに解読されていない文字も多数存在するため、イースター島の謎は深まるばかりですね。
以上、イースター島のミステリー7選でした!
謎が多くて、なんとも惹かれますよね。。。
是非、一度は足を運んでみてはいかがでしょうか??