2013年5月、イースター島から世界初となる本物のモアイ像が南三陸町に贈られてきました。
このモアイ像には目が入っており、目の入った本物のモアイ像は世界で2体しかない貴重な石像です。
なぜ本物のモアイ像が南三陸町にやってきたのか?そしてなぜ目が入っているのか?
まとめて解説していきます。
南三陸町とモアイ像のつながりはチリ地震津波がきっかけ
もともとイースター島を治めるチリ共和国と南三陸町(宮城県)は、チリ地震津波(1960年)がきっかけとなり深い友好関係を築いておりました。
チリ地震津波により同時期に大きな被害を被ったチリと南三陸町。
その後、お互いの被害状況を知った両所は「津波の記憶を未来につなごう」という想いで深い絆を結びます。
そして、チリ地震津波から31年後の1991年には、南三陸町がチリ人彫刻家に依頼して創った復刻のモアイ像が、南三陸町(旧:志津川地区)の松原公園に設置されました。
2011年の東日本大震災で復刻のモアイ像が流出
ところが2011年の東日本大震災で、その時(1991年)に設置された復刻のモアイ像は流出。
その後、瓦礫の中からなんとかモアイ像の頭部だけは見つかり、現在、南三陸町内の志津川高等学校に展示されております。
被害状況を知りイースター島長老会が動き出す
南三陸町のモアイ像が流出したことを受け。
チリ共和国の日智経済委員会、および大統領までもが、新たなモアイ像を南三陸町に贈ろうとイースター島の長老会に協力を求めます。
そして、この要請を受けたイースター島長老のマヌエル・トゥキさん(93歳の老彫刻家)が立ち上がり。
「津波で破壊された南三陸町の人々が、再びその場所で生活したいと思えるように、息子と一緒にモアイ像を彫る!そしてマナ ( 霊力 ) を与えるモアイを贈る! 」と決断します。
世界初イースター島から本物のモアイ像が贈られる
そして震災から2年後の2013年、世界で初めてとなるイースター島のモアイ像が南三陸町に贈られました。
このモアイ像はイースター島の石を削り出し、モアイの彫刻家ベネディクト・トゥキさん(マヌエル・トゥキさんの息子)が復興への願いを込めて彫り上げたものです。
イースター島のモアイ像よりもすらっとしたいで立ちで、より近代的な風貌が特徴的ですよね。
南三陸町のモアイ像に目が入っている理由は霊力(マナ)が宿るから
ところで、南三陸町に贈られたモアイ像には目が入ってますよね。
これは目を入れることでモアイ像に霊力(マナ)が宿ると信じられており、霊力を宿したモアイ像が、南三陸町の復興を末永く見守るようにと付けられたものです。
モアイ像の目は黒曜石とサンゴで作られており、南三陸町でモアイ像贈呈式典が行われた際に、モアイ彫刻家ベネディクト・トゥキさんがご自身ではめこみました。
ちなみに、目の入った本物のモアイ像は世界で2体しかないため、南三陸町に贈られたモアイ像はそういった意味でも非常に貴重な1体です。
南三陸町にとってモアイ像は“希望”と“絆”の象徴
モアイという言葉には「モ=未来、アイ=生きる」で「未来に、生きる」という意味があります。
その意味通り、南三陸町にとってモアイ像は“希望”のシンボルであり、「震災に負けず、一歩一歩復興を目指そう!」と勇気を与えてくる存在です。
また、震災でも決して失われなかったイースター島と南三陸町の“絆”を象徴しており、末永く両所の友好関係が続くよう願いが込められております。
モアイ像は南三陸さんさん商店街に展示中
2018年3月現在、イースター島から贈呈されたモアイ像は南三陸さんさん商店街に展示され、その熱い眼差しで町の復興を見守り続けております。
また大勢の観光客がモアイ像を目当てに訪れ、記念撮影の人気スポットとしても活躍中です。
南三陸町のモアイスポット
贈呈された本物のモアイ像以外にも、南三陸町には実に5ヶ所のモアイスポットが点在しております。
南三陸町を訪れた際には、ぜひ足を運んでみては?
※観光協会のHPでは7ヶ所になっておりますが、現在、町の工事のよりモアイのタイルとモアイマンホールは見られない状態です
南三陸ポータルセンターでモアイの自販機を発見!(オマケ)
南三陸ポータルセンター(観光協会営業所)に、モアイの自販機が設置中。
にっこり笑顔のモアイ像がお出迎えしてくれます。
ここで買うジュースは一味違ってモアイフレーバー!?
モアイ像が見られる全国7ヶ所のモアイスポット
南三陸町以外にも日本でモアイ像が見られる場所がいくつかあります。
全国7ヶ所のモアイスポットを別の記事にまとめておりますので、こちらもチェックしてみてくださいね!